ダンボール箱だけが知っている■アースダンボール通信4月号■2016年4月号
ダンボール箱だけが知っている■アースダンボール通信4月号■
その日、窓からぼーっと外を見ていると、
黄色い風船がゆっくりと落ちてきた。
その風船は浮力が限界に達し、我が家の裏に落下しようとしていた。
よく見ると、風船の糸の先に何かがくっついている。
『なんだろう?』(・_・?)
僕は風船を拾いに行った。
風船には折りたたまれた紙がついていた。
その紙には、こう書かれていた。
"手紙を下さい"
一体、この風船を飛ばしたのは、誰なんだろう(・_・)......??
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今となっては誰にもわからない。
知っているのはそのダンボール箱だけ。
そのダンボール箱は、ある老人の想いを見続けた。
ダンボール箱だけが知っている。
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それでは、どうぞ
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僕がこの手紙を拾ったのは、小学校4年生の時だった。
僕はその風船と紙を持ち帰り、祖父に見せた。
『おじいちゃん、これなに?』(・_・?)
『ボトルメール、、みたいなもんだな』( ̄ー ̄?)
小4の僕には、ボトルメールの意味は解らなかったが、
どうやら、どこかの小学生がクラス行事で手紙付の風船を
飛ばしたものらしかった。
紙にはその子の名前、年齢、住所などが書いてあった。
長野県に住む小学4年生の男の子、僕と同い年だった。
長野県からこの埼玉県まで、風船は飛んできた。
ロマンというよりも得体の知れなさの方が強かったのか、
僕はそれ以上突っ込まず、祖父が手紙を書いてみることになった。
祖父はかなりの筆まめで、普段からいろんな人に手紙を書いていて、
また祖父宛の手紙も毎日のように来ていた。いわゆる文通が趣味。
ただ、そんな祖父が、見知らぬ小4の子に、何を書いたのだろうか?
祖父が手紙を出した数日後、その子からの手紙が来た。
祖父はにっこりと笑って、その手紙を他の手紙とは一緒にせず、
たまたまそこにあったダンボール箱に保管した。
手紙を一通しまうには少し大きすぎる箱だった。
『その箱、ちょっと大きいんじゃない?
それに、なんで他の手紙と一緒じゃないの』(・_・?)と僕が言うと、
『そうだね。でも、もしこの箱が手紙で一杯になったらすごいよね。
それに、こんな小さい子は初めてだからね。なんだかお前みたい。( ̄ー ̄)』
祖父はそう言うと、またにっこりと笑った。
こうして、75歳と11歳の、(僕にとっては)奇妙な文通が始まった。
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本当に、今思えば二人はどんな事を書いていたのだろう?
文通は、2~3通で終わるどころか、5通、10通と増えていった。
2年くらい経ち、僕がその文通の事も忘れていた頃、
たまたま祖父の部屋で、あのダンボール箱を見かけた。
『おじいちゃん、もしかしてこの箱・・・』(・_・)
『うん、あの時の子からの手紙だよ。読んでみる?( ̄ー ̄)』
読んではいけないというか、読むのが少し怖いというか、
祖父が自分と同い年の子と手紙をやり取りしているのが、
とても不思議な感じで、読もうとい気にはならなかった。
それより、箱の底面が見えないほど増えた手紙の数に、僕は驚いた。
普段から、祖父の部屋にはほとんど誰も行くことはなかったが、
それ以来、行った時はそのダンボール箱が気になるようになった。
箱のフタを開けてみるとか、ましてや手紙を見るなんてことはしなかったが、
いつも同じ場所に置いてあり、いつも少し開きかけているフタの隙間から、
中の手紙がちらっと見えていた。
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時は過ぎ、
僕は中学生、高校生、大学生、そして社会人、25歳。
その文通は、15年も続いた。
その間もずっと、僕はそのダンボール箱の"ちら見"をしていた。
僕が25歳、祖父が90歳になった時、ダンボール箱が本当に満杯になった頃、
祖父はその年の夏、病気で亡くなり、文通は終わった。
90歳。もう大往生というか、大きな悲しみではなく、
どこか晴々した雰囲気の中、みんなで祖父を見送った。
晩年も、ほんの数回"彼"との手紙のやり取りはあったらしい。
祖父の初七日が終わった頃、遺品整理をしていた時、
僕以外の家族は初めてそのダンボール箱の意味を知った。
祖父も僕も、そのダンボール箱の意味を今まで誰にも話してはいなかった。
その日初めて、僕は風船が落ちてきた日の事を家族に話した。
『おじいちゃんのこと、その人に伝えなきゃね・・・』
そこで、祖父の事を"彼"に伝える役目、という白羽の矢が僕に立った。
"彼"の電話番号は調べることができた。
初めて聞く"彼"の声。祖父ですら"彼"の声は聞いたことが無い。
『こんにちは・・・初めまして・・・あの、、』
僕は静かに、端的に、祖父が亡くなったことを"彼"に話した。
『・・・・・・・え、ええ!!』(゜д゜;)
ほんの少しの沈黙の後、"彼"はかなり驚いた声を出した。
晩年、少しずつ体の衰えが進んでいたであろう祖父は、
"彼"への手紙には全くそのことを書いていなかったらしい。
"じいちゃんらしいな"と僕は思った。
それから、風船が来た日のことや、祖父の人生のことなど、
ほんの少し"彼"と話した。
そしてまた、少しの沈黙の後、受話器の向こうから、すすり泣く声が聞こえた。
それから少しの間、僕と"彼"は二人で泣いていた。
"彼"と話したのは、これが最初で最後だった。
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人に、歴史あり。
その傍らに、ダンボール箱あり。
祖父の90年という長い人生の中のたった15年の間、
家族の誰もが知らなかった祖父の人生の一部を、
そのダンボール箱は、我が家ではそのダンボール箱だけが、
ずっと見ていてくれていた。付き合ってくれていた。
あの文通、祖父がどんな想いだったのか、
そのダンボール箱だけが、知っている。
FIN
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【編集後記・へんしゅうこうき】
これは、私が小4から25歳になるまでの、実際にあったお話です。
そのダンボール箱は、遺品整理でなぜか僕が預かる?ことになりました。
手紙の中身を読むことは一切ありませんでしたが、その後、
大事に大事に、一通一通丁寧に、箱と一緒に燃やしました。
じいちゃんに返しました。
このメルマガでは時々、
"箱の心"なるものや、"箱の想い"なるものに触れることがあります。
でもそのことを何年考えても、
未だに論文として発表できるほどの研究結果は得られていません(笑)
ただ、例えばあの文通のダンボール箱、
幸せな人生(箱だから箱生?)だったろうか?
今あなたの傍らにあるその箱は?
なんて考えると、ほんの少し、切なくなる時があります。
少しづつ散り始めた、桜のせいかな(笑)
"彼"、元気かな。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
m(__;)m
桜の花びらがヒラヒラと舞う4月某日 メルマガ編集長 やまぎし