~あなたを知るらむ~■アースダンボール メルマガVOL96■2020年10月号
父がもうすぐ定年退職する。
お祝いというか長年お疲れ様でしたってことで、
久しぶりに父や母や兄弟みんなで食事でもと思っている。
長男が父の定年祝いに食事をご馳走なんてごく普通だけど、
こんな時、僕は決まってあの時を思い出す。
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それは僕が21歳の時だった。
僕は苦労して行かせて貰った大学を自主退学してしまった。
やめた理由だって説明にも値しないほど・・・
思ってたより面白くも楽しくもない、意味を感じない。
ただ単にモラトリアムの中に居ただけだった。
そこで僕はひとまずアルバイトを始めた。
そのひとまずだって、今考えれば特に意味なんてない。
バイトしながらどっか就職先でも探そうくらいの程度。
まあ何もしないよりはましってくらいだった。
バイトはそれなりに忙しかった。そりゃそうだ。
21歳の若者が1日フルで働ければ雇う方だって使いやすい。
そしてバイトを始めてから一ヶ月後、初めての給料を貰った。
あくまでもそこだけ切り取った表現そすれば、
僕は今までにない金額の自由に使えるお金を稼いだ。
そのお金で、僕は思い違いをしてしまった。
何もわからずに、自分の力で稼いだと勘違いした。
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粋がった僕はその初バイト代で家族にご馳走するといい、
回転しているお寿司屋さんに家族みんなを誘った。
『みんな、何でも好きなもの注文して』( ̄¨ ̄)
という僕の言葉に、母や兄弟達はテンション高めだった。
しかし、父だけが何故か浮かない顔をしていた・・・
『ねえ母さん、父さんどっか調子でも悪いのかな?』(・_・?)
そう母に聞いてみると。
『そうじゃないけど。でも何となく想像つくわ』(-_-)
と母は言っていた。
皆でお腹いっぱいに食べ、僕は得意顔で会計を済ませた。
しかし帰宅後・・・
父は誰も居ない所で僕に1万円を渡してこういった。
『これ、今日の会計代だ』( ̄д ̄)
『え!?いや、今日は俺のおごりだってば』(・_・?)
『いや、いい。気持ちだけ貰っとく』( ̄д ̄)
『いや、気持ちだけって、なんで』(`Д´)
『とにかく、いいから。今日は父さんが出す』( ̄д ̄)
そう言って半ば強引にお札を受け取らされた。
そしてその時、それ以上の会話は無かった。
僕は起きたことが理解ができず、悶々として眠れなかった。
"人の行為を台無しにしやがって"
あの時はそんな風にしか考えることができなかった。
そんな風にしか。
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やがて僕も少しづつ自分の人生を前に進め、
正社員として就職もした。結婚もして子供も生まれた。
そして子供が成長して3歳くらいになった時だったと思う。
持ってるお菓子を半分にして『パパに半分あげる』と言った。
3歳の子供の純粋な他人を想う行為を見た時、
何故か、1万円札を返された時の父の顔が浮かんだ。
そしてあの時の父の想いが少し理解できた、気がした。
あの時の僕は、大事な人やものを守る為でもなく、
ましてや自分が誰かに守られていることも知らず、
ただ自分の虚栄心の為に、おごると言っていた。
父にはそれがわかっていたんだ。勿論、母も。
もしこの子が将来、あの時の僕と同じ事をしたら、
きっとあの時の父と同じ気持ちになるだろう。
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父は地元の工業高校を卒業後、すぐに今の会社に就職した。
19歳の時には結婚もし、20の時には僕も生まれていた。
そう、僕が大学を辞めてしまった年齢の時には、
家族を守る為に必死に頑張っていたんだ。
家族の為、誰かの為って事を身をもって知っていたんだ。
高校出の苦労も幾分あったと言っていたけど、
それでも必死に頑張って仕事も人格も認められて、
従業員150人を擁する大きな工場の工場長にもなった。
従業員も守った。会社も支えた。勿論家族も守った。
どう控えめに言っても、立派な人だ。
今思い返せば、僕はあの時の気づき以来ずっと、
父に追いつきたいと心のどこかで思っていたようだ。
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でも、結局追いつけたと思えたことなど一度もない。
そしてそのまま、父は節目の定年を迎えようとしている。
今日、僕が催した祝いの席の父はずっと笑顔だ。
僕が定年する時には、こんな笑顔でいられるだろうか。
そもそも、親に追いつく、超えるってどういう事なんだ?
僕はそっと、笑顔の父に聞きてみた。
『なあ父さん、
父さんは高校卒業からずっと今の会社一筋だったよね。
ダンボール箱を作る仕事って、父さんにとって何だった?』( ゜∀゜)
『ええ? 珍しい事聞くな。そうだな、、、
父さんがダンボール箱を作ってたんじゃないんだよ。
ダンボール箱が父さんの人生を作ってくれてたんだよ』(´ー`)
『ええ?? どうゆうこと??』(*゜~゜*)
『どうゆうこともなんも、そういう事だ』(´ー`)
『そういう、もんなのか?』( ̄、 ̄*)
『ああ、そういうもんだ!』(´ー`)
ダンボール箱が人生を作ってくれてた・・って・・??
一生懸命考え込んでいる僕を、父は嬉しそうに見ていた。
『なんで嬉しそうなんだ?』と僕が聞くと、
『いや、そう聞いてくれたのがなんだか嬉しくてな』
と父はやっぱり笑って答えた。
僕はまだまだ父に追いつけなさそうだ。
FIN
(※らむ≪読み:らん≫・・・〇〇だろう、等の推量を表す古語)
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【編集後記・へんしゅうこうき】
あれはいつぐらいだったでしょうか?
あるダンボール屋さんの社長が私にこんなことを言いました。
『自分は生まれた時からダンボール屋だった。
だからダンボール箱を作る、売る大変さを身に染みて生きてきた。
これからもダンボール屋で生きていくと覚悟を決めている』と。
その言葉の真意をもう少し深く知りたいと思い、
私は素直にこう言いました。
『私にはそんな覚悟は無いです。
そんな私がこのメルマガを書いてていいのですか?』と。
するとその社長はこう言いました。
『君にそのような覚悟が無いのは理解している。でも、
例えそうだとしても、私がそのまま書くよりも
君が私の思いを理解した上で想いを優しく書いたほうが、
ずっと多くの人に理解されると思っている』と。
私は "そっか、そういうものか" と思いながらも、
"じゃあメルマガは僕が書くしかないじゃん"と納得もできました。
親の心子知らずという言葉があるように、
得てして目下の人は目上の人の想いを、子供は親の想いを、
理解できにくいものかもしれません。只それはそれとして、
分からないまでも何とか分かろうとする一生懸命さと、
一生懸命分かろうとしてくれる事への嬉しさが合わさった時、
よしんば目上目下、親子、だけの関係だけじゃなくて、
例えば会社なら他部署同士で分かり合おうとした時とかには、
いつにも増して素敵な商品やサービスが出来上がる気がします。
素敵なダンボール箱が、出来上がる気がします。
きっとあなたが携わる商品やサービスもそうじゃないですか?
ところで、あるダンボール屋さんってどこかって?
それはご想像にお任せという事で・・・
今号も最後までお読み頂きありがとうございました。
m(__;)m
10月某日 ライティング兼編集長:メリーゴーランド