ダンボールの香り、セツナ -第一話-■アースダンボールメルマガVOL176■2024年2月号

あの人とは何も言わずにお別れするはずだった。 「好きです」と言えないままお別れするはずだった。 でも彼らがそうさせてはくれなかった。 彼らは、愛しいあの人の香りを俺に運んできて、 俺がどれだけあの人を想っているかを、俺に思い起こさせた。 彼ら、部屋いっぱいに積まれたダンボール箱達が。 (´o`)п(´o`*)п(´o`*)п **************************** 俺は草間陸人(そうまりくと)24歳、社会人2年目のサラリーマン。 "あの人"の噂は入社してすぐに俺の耳にも入って来た。 その人は社内の誰もが一目置く美人の大和撫子。 おっとり清楚だけど明るくて、仕事も気配りもできて服装センスも抜群。 それが僕の4つ年上の渡里澄香(わたりすみか)先輩だった。 初めて渡里先輩に会った時、僕の胸は一瞬で射抜かれた。 それからこれは誰にも言えないけど、 すれ違った時にいつもフワッと香る先輩の香り、 それががたまらなく好きで、職場での俺の一番の癒しだった。 入社して1年が過ぎ、先輩の事も少しわかって来た。 恋人はずっと居ないらしい。噂すらも聞こえてこない。 これだけ魅力的な人を独身男性達が放って置くはずもなかったが、 先輩は"そういうお誘いや告白"を全て断わっているらしかった。 特にここ1年くらいは、誘ってくる男性への塩対応がえげつないらしい。 もっとも、入社してから俺は先輩を誘った事すらないけど、 彼氏が居ないのは喜ばしい。いずれは俺が告白したい… そんな風にのんきに構えていたある日、渡里先輩に突然声をかけられた。 「ねえ草間くん、今度飲みにかない?」 「え!?俺とですか!?」 「ええ、そうだけど、嫌だ?」 「べ、別に嫌とかじゃ!むしろ嬉しいっていうかびっくりっていうか」 「びっくり?」 「だって先輩、男性からのお誘いを全部断ってるみたいだし」 「そうね、でもそれはそれ、これはこれよ。  それに私、勇気を出してるんだけどな…じゃ、やめよか」 「や、やめとかないです!行きましょう!すぐ行きましょう!」 先輩がなぜ俺を誘ってくれたのか、その時は全く分からなかった。 その時の俺はただ嬉しくて浮かれていただけだけだった。 勇気を出した、の意味もわからないままに。 (´o`)п(´o`*)п(´o`*)п **************************** 約束の日、先輩の行きつけの居酒屋に連れて行ってくれた。 俺と先輩は飲みながら他愛もない会話を楽しんだ。 これはいい、いい雰囲気なのでは!? 俺はニヤケそうな顔を必死でこらえた。 そして店内のモニターにボクシング中継が映った時だった。 「ねえ草間くん、格闘技、好き?」 「好きって程じゃないけど時々観ますよ」 「そうなの!?実は私、格闘技大好きなの!推しも居てね!」 意外だなと思った。でも本当に意外なのはむしろそこからだった。 お酒が入ったからなのか、大好きな格闘技の話題になったからか、 先輩が徐々に変わり始めた… 「だからさ、あいつ根性ねえんだよ!あそこでスパーンと返さなきゃ!」 「せ、先輩?あの、先輩?」 「ああ?だから男ってのはさ、そう思うよね~?草間くんもさあ~」 「あ、はい、ええと、はい…」 酒乱、とは違うがまさに豹変だった。 先輩の声も大きくなり、店に迷惑かと思った俺は何とか先輩を店から連れ出し、 ちょっと気まずい雰囲気でその日は解散。 解散といえば聞こえはいいが、俺が逃げたという方が正しい。 俺にはギャップ萌え好きの属性は無い。 そう、俺は先輩の豹変にすっかりビビッてしまった。 そして思った。先輩が彼氏を作らない理由、これなのか…? ________ 翌出勤日、先輩はいつもの素敵な先輩だった。 「草間くん、この間はごめん、私、多分やらかしたよね?」 「いえ、そんなこと、楽しかったですよ、ははは…」 (先輩は今日も素敵、それは本当、でも一体この感覚は!?) あの一件以来、俺の心に先輩への小さな壁ができてしまい、 先輩にそっけない態度で接するようになってしまった。 あのくらいの事で…頭ではわかっているのに…。 そしてその日以来、心なしか先輩の元気が無いような気もした。 それから数か月、先輩との距離感は一向に変わらないままのある日。 それどころかその日は色んな事が重なってテンパっちゃって、 いつにも増して先輩にそっけない態度をとってしまった。 気まずい、気まずすぎる、先輩ごめんなさい、ほんとごめんなさい。 そしてその日の午後… 俺はオフィスの2フロアー上の資料倉庫室へ行った。 普段は殆んど誰も行かない場所で、俺も月に一度くらいしか行かない。 階段を上がろうとすると、渡里先輩が上の階から降りてきた。 「あら草間くん、資料倉庫室?」 「あ、はい、先輩は?」 「うん、私もちょっと資料倉庫室にね。じゃ、仕事頑張ってね」 「はい、ありがとうございます」 他人行儀な会話を交わしてすれ違ったが、俺はふと気がついた。 先輩の目、赤かった…? 普段、ここは空気の対流が無いから大量のダンボールの匂いだけが留まっている。 でもこの日はダンボールの匂いの中の至る所に先輩の香りが残っていた。 やっぱりいい香り、好きなんだよな、この香り… 俺は先輩の香りを犬のように辿り、あるダンボール箱の前に来た。 "ここだけ香りがひときわ強く残ってる。先輩は多分ここに居たんだ" よく見るとその箱には何かの跡があり、指先で触れてみると、少し湿っていた。 「これは、水?いや、涙…!?」 そっか、やっぱり先輩、ここで泣いて… どれだけ美人でも一人の人間、会社のイチスタッフだ。 泣きたい事の一つや二つはあるし、泣き顔も人に見せたくないよな。 俺はふと、ここ数か月の先輩への感情を思い返していた。 "俺やっぱり先輩が好きだ。でも俺の中の何かが邪魔をする" でも悲しい事があるなら力になりたい。けど直接の力にはなれないかな。 ならせめて…そう思った俺は "泣かないで、元気出して下さい、RK" と、ボールペンで涙の跡の横にメッセージと自分のイニシャルを書き残した。 ダンボールに混じったその時の先輩の香りは、今までで一番切ない香りだった。 どうせ誰も、勿論先輩だってこれを見ないだろう。 このダンボール箱の位置が、先輩との思い出の場所になった気がした。 (´o`)п(´o`*)п(´o`*)п **************************** それから更に数か月、先輩との関係はやっぱり相変わらずだったが、、 そのニュースは突然社内を駆け巡った! 「え!?渡里先輩が会社を辞める!?」 先輩のお父さんが急逝、先輩は家業を継ぐ為に退職する事になった。 結局、俺は何もできなかった。 好きとさえ言えないまま先輩は遠くに行ってしまう。 その数日後、いよいよ先輩が実家へ帰るが来た。 先輩は新幹線に乗る前に最後にもう一度社に寄ってくれ、皆が先輩との別れを惜しんだ。 「草間くんも、元気でね」 「はい、先輩も」 先輩の目すらまともに見れなかった俺はそう一言だけ返し、先輩を見送った。 そして先輩は行ってしまった。 それからデスクに戻っても俺は先輩の事ばかり考えていた。 ついさっきまで先輩はすぐそこに、俺の目の前に居たのに、 今は寂しくて悲しくて、辛くてたまらない。 後悔…。これ、後悔って言うんだよな。 俺の足は無意識に先輩との"思い出の場所"へと向かっていた。 なんて未練がましい、でも今は少しでも先輩を強く思い出したい。 そう思ってフラフラと資料倉庫室への階段を登り始めた。すると… ん?この香り…先輩の香りだ… 階段、その先の廊下、資料室、その香りはずっとその場に留まっていた。 先輩、さっきここに来たのか!? 俺はその香りを辿るようにあのダンボール箱の前に来た。 あの時と同じ、ここが一番強く先輩の香りが残ってる。 そしてその箱には、あの時の先輩の涙が乾いて表面が少ししおれた跡と、 俺が残したメモも残っていた。それから、別の誰かが書いたメモも… "ありがとう、ずっとあなたが好きでした KW" KW…かすみ、わたり…これは先輩がついさっき書いた!? 好きでした? イニシャルRKは社内で俺だけ。 って事は、先輩はこのメモが俺のメモだってわかってた? もしかしてあの日以来なんとなく先輩の元気が無かったのも、 あの日ここで泣いていたのも、そっけなかった俺のせい!? その時、俺の感情が一瞬で沸き上がり、同時に全ての答えが出た。 それは瞬(まばた)きよりももっと一瞬、セツナの時間… そんな簡単な事がどうして俺にはできなかったんだ!! 先輩の全てを受け入れればよかっただけじゃないか!! 好きなところも、嫌なところも全部、先輩の全部を!! 俺は箱の中身をひっくり返して空にして、それを持って走り出した。 すれ違った同僚に「ごめん!俺ちょっと出てくる!!」と言って社を飛び出し、 東京駅に向かった。 「先輩の乗る新幹線、何時だったか、間に合うか!?」 走る俺の鼻腔の奥と脳裏にはあのセツナの、 ダンボールの匂いの中に切なく、だけど強く感じた、 先輩の香りが残っていた。 FIN セツナ(刹那)…時間の最小単位。極めて短い時間、あるいは瞬間を指す言葉。 98-2 (´o`)п(´o`*)п(´o`*)п ****************************     【編集後記】 ダンボールの匂いって好きですか? きっと好き嫌いがありますよね。 特に海外製の匂いが苦手だという人もいらっしゃるかもしれません。 それはそうとちょっと不思議に思うのですが、 ダンボールの匂いって、何か別の匂いや香りと一緒になっていたりしませんか? そもそもダンボールは物を入れる、あるいは運ぶのが役目なので、 匂いが一緒になる確率も自然と高くなるのだとは思いますが、 ダンボールは他の匂いを引き立たせるような役目も、 自然と担っているような気もします。 今号も最後までお読み下さりありがとうございました。 m(__;)m ライティング兼編集長:メリーゴーランド

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